情シスの役割はモデルではなく「土台」
製造業AIのプロジェクトで情報システム部門が担う役割は、データ基盤、セキュリティ、運用(MLOps)の3つに集約できます。どのテーマを選び、どの精度で合格とするかは現場部門が決めるべきことで、情シスが代わりに決めることはできません。一方で、データをどこから取り、どこに貯め、どう守り、モデルをどう更新し続けるかは、現場部門だけでは決められません。
この分担が曖昧なままだと、2つの失敗が起きます。1つは、現場部門がベンダーと直接PoCを進め、工場ネットワークに無断で機器をつないでしまうこと。もう1つは、情シスが基盤を作り込んだのに、使うテーマが決まらず放置されることです。2026年版ものづくり白書の解説連載では「『IT部門主導』ではDXは成功しない?」という論点が取り上げられており、情シス単独で進めることの限界も指摘されています。
役割1:データ基盤をユースケース共通の資産にする
AIの学習データには、センサの値だけでなく「どのロット・品番・設備・工程のときの値か」というコンテキストが必要です。この紐付けのキーを持っているのはMES(製造実行システム)で、ロット・作業指示・品質判定・停止理由を時系列データと結びつける設計が情シスの仕事になります。
IPAの「DX動向2026」(2026年7月公表)では、日本企業のデータ整備・管理・流通の課題として「人材の確保が難しい」51.2%、「データの標準化が難しい」36.8%、「管理システムが整備されていない」32.6%が挙がっています。テーマごとにベンダーがばらばらにデータを集めると、この標準化の問題がテーマの数だけ増えます。タグの命名規則、設備の資産階層、時刻同期のルールを情シスが先に決め、次のテーマでも使える形にしておくことが、2本目以降のAIのコストを下げます。詳しい進め方はデータ基盤のロードマップで扱っています。
役割2:OTとつなぐときのセキュリティ
AIのために工場ネットワーク(OT:制御系の機器とネットワーク)と情報系をつなぐと、攻撃の入口が増えます。IBM X-Forceによると、2025年に製造業はサイバー攻撃の27.7%を占め、5年連続で最も攻撃された業種でした。Dragosは、産業組織へのランサムウェア攻撃が前年比87%以上増え、被害組織の50%超が製造業だったと報告しています(2025年2月)。
設計の基本は、制御系から情報系・クラウドへの通信をDMZ(緩衝区域)経由の外向き一方向にすることです。国際規格ISA/IEC 62443では、セキュリティ要件が同じ資産のまとまりを「ゾーン」、ゾーン間の通信を「コンジット」と呼び、エッジのゲートウェイやMQTTブローカーはコンジットとして扱います。AIの推論結果で設備の設定値を書き換える場合は、承認フローとインターロックを設けます。詳しくはIEC 62443とAIを参照してください。
役割3:モデルを運用し続ける仕組み(MLOps)
Googleの研究者による2015年の論文「Hidden Technical Debt in Machine Learning Systems」は、実際の機械学習システムのうち学習のコードはごく一部で、周辺のインフラの方がはるかに大きく複雑だと指摘しました。工場では、品種・季節・材料ロットによるデータの変化、設備改造や治具交換による前提の変化が起きるため、精度の監視と再学習の仕組みが欠かせません。
工場特有の論点として、どのモデルの版で合否を判定したかをロットのトレーサビリティに記録することがあります。品質監査で判定根拠を問われたとき、モデルの版が分からなければ説明できません。現場が閾値を変えるときの権限と記録も、情シスが仕組みとして用意します。全体像は工場向けMLOpsにまとめています。
よくある質問
情シスにAIエンジニアがいなくても進められますか
進められます。情シスに必要なのはモデルを作る力より、データの流れとネットワークを設計する力です。モデル開発は外部に委ね、データ基盤・セキュリティ・運用の設計を社内で持つ分担が現実的です。
クラウドとオンプレミスのどちらに基盤を置くべきですか
画像や高周波振動のようにデータ量が多いもの、ネットワークが切れてもラインを止められないものはエッジで推論し、学習と蓄積はクラウドやデータセンターで行う併用が一般的です。判断軸は遅延・帯域・可用性・機密性の4つです。
現場部門が勝手に生成AIを使い始めています。どうすべきですか
禁止するより、使ってよいデータの範囲と使ってよいサービスを決めた利用ルールを先に出す方が効果的です。図面やレシピなど持ち出してはいけない情報を具体的に挙げ、社内向けの環境を用意すると、無断利用は減ります。
- DX動向2026(IPA, 2026年7月30日)
- Manufacturing sector saw most cyberattacks in 2025(Manufacturing Dive, 2026年2月26日)
- Dragos Reports OT/ICS Cyber Threats Escalate(Business Wire, 2025年2月25日)
- Hidden Technical Debt in Machine Learning Systems(Sculley et al., NeurIPS 2015)
- ISA/IEC-62443-3-3: What is it and how to comply?(Cisco)
- ものづくり白書2026を読み解く 電子ブックレット(MONOist, 2026年9月7日)
この記事に出てくる用語
AIは「データ基盤」で決まる
PoCは成功したのに本番で止まる。原因の多くはモデルではなく、MESと設備データの側にある 全130本
- MESとAIの関係:ロット・作業指示・品質判定がAIの精度を決める理由
- 製造業AIが本番で止まる7つの理由:PoCは成功したのにラインに載らない構造
- 製造業のAI-OCR:紙の検査記録・点検表・ミルシートをデータ化する手順
- データ基盤の段階的導入ロードマップ:ユースケースから逆算する8ステップ
